おはよう、こんにちは、こんばんは。

よろしくお願いします。

このブログに、決まったテーマのようなものはありません。みんなに話したいことを勝手に書くといういたって自己満なブログです。 記事はいくつかのカテゴリーに分類されておりますので、どうぞカテゴリでご検索ください。

喜界島冒険記1

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昨日、4月15日に、喜界島をテーマにした新曲が完成した。
喜界島が舞台の奄美島唄《塩道長浜節》や、喜界の空気に霊感を受けながら作曲した。
《わらびぬうた》という題名にした。
こちらの言葉に翻訳すれば、「童の唄」という意味。
その曲の詳しい説明は今回は省く。


喜界島を僕が初めて訪れたのは、昨年の4月、ちょうど1年前のことだった。
僕の作曲の師匠の島唄調査の助手として同行した形だ。
地図で見ると、奄美大島のすぐ東側の小さな島だ。
しかし奄美大島とは風土も地質も景色も全く違っている。
奄美大島のように観光っ気が無い・・・。

島は小さくても端から端への移動は車で20分くらいはかかる。
空港がある湾という地域から、北の小野津集落へ向かう。
僕が喜界島で最初に探索した場所だ。

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この島は、サンゴが隆起して出来た島で、海岸はゴツゴツとしていて、とても裸足にはなれない。

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このような石垣は島の至る所に見られる。
阿伝集落には、サンゴによる石垣も。

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子供たちに襲われた。島の妖怪“ケンムン”か??

他にもいろいろなところへ行った。

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残響10秒の地下空間『地下ダム』。

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『百之台公園』からの喜界島遠景。


夜は大体、島のライブハウス『サバニ』に入り浸った。
総じて、島の人たちはとても優しい。
外から来た人には、優しくする、そんな文化が根付いているようだ。
沖縄にも、マレビト信仰とか来訪神の信仰と言ったものがあるが、基本島の人たちは外からの人に優しいのか?
しかし、ここの優しさは、今は完全観光都市となった沖縄とは少し違う、もっと“家族”を迎えてくれるようなものだった。

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小野津の海岸で踊るダンサーJOUさん。

その次は6月にも喜界島を訪れた。
それはまた次の記事で。


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三大田園交響曲

最近になって、ベートーヴェンの交響曲《田園》は大傑作だと強く思うようになった。
もちろん前から傑作であることはわかってたが、“大”が付くようになった。

“田園”というテーマの中で、各楽章に完璧な形でそのテーマが織り込まれていて、しかもそれが美しい。

第1楽章〈田園に着いたときの心地よい気持ち〉は、冒頭の5度の響きも牧歌的だし、展開部では第1主題のモチーフをひたすら繰り返すだけで美しい音楽世界が生まれる。
この雰囲気には一生浸れる。

第2楽章〈小川のほとり〉は、小川の流れを表す弦の動きや、小鳥のさえずりが織り込まれ、一層描写的だ。
ベートーヴェンの頭の中に広がる風景は、こんなにも美しいのか。

第3楽章〈農民の楽しい踊り〉も、実にユニークな楽章。村人が酒場で楽しく踊るうちにどんどんテンションが上がってくる様子が目に浮かぶ。三拍子系のスケルツォから二拍子のトリオへのスムーズな移行が非常に斬新!
旋法的な和声にも驚く。

第4楽章〈雷・嵐〉もすごい。形式もなく、ここは完全な情景描写だが、ここで稲妻を表すためにこれまでティンパニが全く使われていないのもすごいと思う。風の音の表し方や、雨が徐々に降り始める様子なども、非常に明快に描かれていてすごい!

第5楽章〈牧歌・感謝の歌〉雨が上がって、雄大な牧歌が流れる。その雄大さがこれ以上なく美しい。

どこをとっても最高の表現で、ここまで音楽ですべてを描き切れる能力を持った人はいないのではないか。


《田園》と名の付く交響曲は20世紀初頭にも。

グラズノフの交響曲第7番。
こちらはロシアの“田園風景”なんだろう。
ボロディン風田園といってもいいかもしれない。

第1楽章は、一番田園っぽい。明らかにベートーヴェンを意識しているが、やはりどこかロシア的な牧歌だ。
少し映画音楽っぽくも聞こえる。

第2楽章は、どちらかというと、教会の音楽のよう。荘厳な雰囲気。

第3楽章は、羊飼いの笛か何かだろうか。ベートーヴェンのスケルツォとは一風変わった、爽やかな風が吹き抜けるような曲。

第4楽章は、ボロディンみたい。これまでの楽章の主題が組み込まれ展開する。土俗的な音楽。

グラズノフは、あまり個性を感じない作曲家だが、ボロディンやチャイコフスキーなどのロシア風音楽を、メンデルスゾーンで薄めたような作風。
チャイコフスキーだと暑苦しすぎる、と思う人にはお勧めかも知れない。


そして、3つめの“田園”。
ヴォーン・ウィリアムズの《田園交響曲》。
これはベートーヴェンが書いたものを想起させない“田園”だ。
イギリスの、緑の濃い田園。
少し物悲しくもあり、過ぎ去った日々を懐かしむようなイメージもある。

第1楽章は、そよ風に揺れる花、うっすらと霧のかかる高原といったかんじ。次々とうつろう旋律が美しい。印象派風。

第2楽章は夕方のよう。遠くからトランペットが聞こえてくる。とても幻想的で物悲しい。

第3楽章は、作曲者が“スローダンス”と形容している。全曲中最も華やかで、吹奏楽のアイリッシュなマーチを思い出す。

第4楽章はまたがらっと雰囲気を変えて、感情的な美しい曲になる。遠くからヴォカリーズが天使の声のように聞こえて、自分もに召されて行くよう。全曲中のクライマックスだろう。美しすぎる。


とにかく“田園”と名の付くものは、どれも情景描写的で愛すべき作品ばかり。
ドイツ、ロシア、イギリスの田園めぐりをした気分になれます。

みなさんも“田園”の魅力に浸ってみてはどう?

日本の“田園”は、棚田の風景か、それとも田園都市線からの住宅街の車窓か。


ロード・オブ・ザ・リングは本当に名作か?

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僕は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズが非常に好きだった。
最近、ヴォーン・ウィリアムズをよく聴いていて、急にもう一度見たくなって、オークションで3部作のDVDを落とした。
そして、1作目「旅の仲間」を今日見たのだが、以前見たようなスケールの大きさや映像美などの感動があった一方、
どうしてもいろいろな矛盾点が目についてしまった。
そして、各キャラクターにカリスマ性が足りないように感じてしまった。

そして、本当に名作なのだろうか?と思うに至った。
いや、名作であることには間違いないし、
こういう割と昔のファンタジー小説をもとにした映画に矛盾点とかを指摘するのは非常にナンセンスなんだろうと思うけれども。

映画として、よりも、トールキンの『指輪物語』へのケチなのかも知れない。

まず、簡単に映画『ロードオブザリング』=『指輪物語』の概要を書く。
ワーグナーの『ニーベルングの指輪』や北欧神話に影響を受けた世界観で、非常に壮大なファンタジー。
冥王サウロンが作った世界を支配できる力を持つ指輪があり、それが最も支配よくの無い種族“ホビット”の手に渡って、まあ平和だった。
しかし、指輪にはサウロンの魂が宿っていて、サウロンは蘇った。
養父から指輪を授かった主人公のホビット、フロドは指輪を取り戻そうとする追っ手から逃れつつ、魔法使いのガンダルフや王家の血筋を引くアラルゴンたちと、指輪を葬るべく旅に出る。

そんな話。

ここからはネタバレになるが、僕が今見て、どうしても気になったことをいくつか書く。


  • まず最初のサウロンが倒されるシーン。全てを支配できる“指輪”をつけたサウロンがいとも簡単に倒されるのはなぜ?指輪の魔力とはいったい・・・。

  • ゴラムがあそこまで固執した指輪。ビルボは割と簡単に手放したように見えた。指輪の誘惑ってそんなもん?

  • アイゼンガルドとホビットの村、鉱山などの距離感がよくわからない。全部近くにあるの?ガンダルフがアイゼンガルドに行くときも異様に近く感じたし、ウルクハイの集団がアイゼンガルドから出発して旅の一団に追いつくまでが早すぎる感じがした。

  • ナズグルは弱すぎないか?3作目で、ナズグルの首領は割と驚異的に描かれていたが、今回5人もナズグルがフロドを襲いかかった割に、アラルゴン一人で全員相手できるほど弱かった。

  • 9人の仲間が、鉱山でオークの大群に襲われても、誰一人死なないし、ホビットよりオークが弱い。オークってそんなに弱い種族なの?

  • ウルクハイの首領(ラーツというらしい)がサルマンから「ホビットを生け捕りに、後は全員殺せ」と命令されて出撃したにも関わらず、ホビットを生け捕りにしかしてない。他の人は殺さなくて良かったの?


とか、いろいろと思うことはあったけれども、そんなことを考えながら見るのは野暮なんだろう。

やはり9人いて死ぬのが一人だけっていうのはちょっと不自然な気がするし、いろいろと気になったかな。
あと、意外と魅力的なキャラが少ないことにも気付いた。
フロドがまず好きになれない。
指輪とか関係なく何故かいつも狙われるし、やけにみんなからチヤホヤされる。
そんなにカリスマ性があるのか?
サムは多分ゲイで、フロドのことが好きなので仕方ないか。

結局この映画に、なかなか人間的なキャラがいなくて、共感を誘わないが、
サムは愛せるし、ちょっと悪役のボロミアは人間の弱い部分が一番見えてわりと好きになれた。
あとは、皆賢者過ぎて、ちょっと感情移入しづらいかな、と。

まあよく言われることだけれども、このシリーズの本当に主人公はフロドではなくてサムで、最も好感が持てるのもサムだろう。

僕は1作目よりも、2作目、3作目になってどんどん引き込まれた記憶があるので、大人になった今、2、3作目を見るのが楽しみだ。
どんな感想を持つだろう。


もっと知りたい!フロドのブログ


“どん・どけし”への冒険

昔、弟が友人と旅をして来た「どん・どけし」と言う場所があった。
それは、自分の家の近所なのだが、あまり足を踏み入れない別の小学校区で、小学生にしてはちょっとした冒険だったと思う。

そこに、今度は弟が僕を連れて行ってくれた。
その一帯を“どん・どけし”と弟は呼んでいた。

弟が地図を書いていて、僕も同じように地図を書いた。
敵キャラもいた。
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地図。

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こちらが敵キャラ図鑑。

今年の正月に帰省した時、弟と、昔の地図を見ながら“どんどけし”を探検してみよう、ということになった。
しかしあれから20年近く経ち、大きい道路が出来たり区画整理なども行われて、大分景観が変わってしまっていて、
昔の面影は無いだろう、とあまり期待を持たなかった。

しかしどうだろう、ここが昔「パニックモアイがいたところだ」とか「昔ひまわり畑だったところだ!」とか「中国人保城だ」とか、昔の面影が割と残っていたのだった。

黄色いマンションが、緑に塗り直されていたり、やはり、大きい道路が出来たせいで無くなっている場所もありつつ。

そして、子供の頃は通れた、人の家の庭とか、側溝の間とか、人の家のフェンス沿いとか、そういうところは、大人になった今は通れなかったので、随分と大回りしたりしつつも、地図を辿った。

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そして、「くじらのマンション」にも辿り着いた。
ここは、“どん・どけし”以前から幻の場所で、なかなか辿り着けない場所だった。
細い入り組んだ路地を入って行ったところにあったので。

そして、ここ。
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「カラーランド」だ。
本当はここには「ちゃめるこ谷」を通って行かなきゃいけないのだが、そこも“こどもしか通れない道”なので、大人のルートから。

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「カラーランド」は大人になった今見ても、冒険心をくすぶるものだった。

もっといろんなところを写真に撮ってくれば良かったなあと後悔している。
次に帰省したときはもっと写真を撮ってきたい。

童心をいつも忘れないようにしなくてはね。


もっと知りたい!妖怪のブログ


日本三大妖怪について

相馬の古内裏


日本三大妖怪とは。

「鬼、河童、天狗」である。
これは、妖怪研究第一人者の一人である多田克己が最初に述べたことで、まあ異論も無いだろう、と思う。

ちなみに、たまに聞かれる
「酒呑童子、九尾の狐、大嶽丸」というのは、小松和彦が述べた“中世の”三大妖怪であり、妖怪の基本、というよりは、中世で名を馳せた固有名の妖怪3匹だ。
たまに聞かれる「大嶽丸」を「崇徳上皇」に置き換えた“日本三大悪妖怪”というのもあるが、
出典も特になく、“日本三大怨霊”である「菅原道真、平将門、崇徳上皇」が、小松の“中世の三大妖怪”とごっちゃになって広まったものだろう。

さて、話を元に戻すと、
「鬼、河童、天狗」に、さらに「狐、狸」を加えて五大妖怪とする説もある。

また、昭和の妖怪ブームの火付け役となった佐藤有文の『日本妖怪図鑑』には、最も一般的に知れ渡る妖怪5選として、冒頭に「妖怪チャンピオン」という項がある。
そこに書かれているのは、「河童、鬼、天狗」までは三大妖怪の通り、
それに加え「幽霊、風神・雷神」だ。
六大やないかい!というツッコミもあるでしょうが、「風神・雷神」は同じ項目に書かれている。

“幽霊”は、昔こそ“妖怪”と区別して書かれることが多かった。
柳田国男や折口信夫もその違いを述べていたりしたが、例外だらけの分別だった。

そこで、最近は“幽霊”を“妖怪”に含める考えが一般的だ。
小松和彦が妖怪を「人々に祀られていない『超自然的存在』」(『妖怪学新考』より)と述べている。
これが現代“妖怪”を定義する上で最も権威を持っている文章なのではないかと思う。
ちなみに、一方の「人々によって祀られた『超自然的存在』」を「神」という。

佐藤の五大妖怪説は非常に説得力が有る。
“幽霊”が妖怪に含まれる今、鬼や天狗や河童以上に、幽霊は一般的な存在ではないだろうか。


さて、最近You Tubeでよく『まんが日本昔ばなし』を見ているのだが、
鬼は確かに非常に目立つが、河童や天狗は、意外にあまり出てこないことに気付く。
それよりも、非常に存在感を示している妖怪がいる。

“やまんば”だ。

河童や天狗以上に、人々の生活に身近だったのは、やまんばだったのだろう。
それに、非常に恐れられていたことがわかる。
そんなごく一般的な妖怪である“やまんば”が三大妖怪に含まれないのにも、少し合点がいかない。

そしてもう一つは“竜(龍)”だ。
大抵の妖怪図鑑には“竜”は載っているし、西洋のモンスターとしても一番真っ先にあがるのは“ドラゴン”ではなかろうか。
“竜”は神に分類されることもあるので、その辺が曖昧になっているのかも知れない。
日本において竜はたしかに、「祀られて」いる場合も多いし、どちらかというと、人々にとってプラスに働く超自然的存在かもしれない。
竜は、“水”に関わる妖怪で、農耕民族の我々は、水がとても重要だったからかも知れない。
しかし、水害という恐ろしいこともあり、九頭竜などはその象徴として恐れられた“妖怪”である。

妖怪とされるものの中には、神との境があまり無いものが多い。
竜をはじめ、貘、麒麟、白沢といったものがそうかも知れない。座敷童子もそうだろう。
“やまびこ”も、昔は山の神と言われていたが、今となっては妖怪の代表的な存在。


妖怪は何も昔のものだけじゃない、
昭和に入って、学校というコミュニティでそれらは増殖する。
こっくりさん、口裂け女、カシマさん、テケテケ、青い紙赤い紙・・・、
中でも“トイレの花子さん”は別格だろう。

近年インターネット上では“死ぬ程洒落にならない怖い話”スレがたって、そこであらゆる妖怪が人為的に作り出され書き込まれるようになった。
くねくね、ことりばこ、ヤマノケ、猿夢・・・

インターネットという無限に拡散するツールのお陰で、個人が容易に“妖怪”を生み出せる時代になった。
それらも“妖怪”として定義してしまってよいのだろうか?
良い、だろう。
何せ日本の妖怪文化で、こうして個人が生み出したものと言うのも多いからだ。


妖怪の代表を“三大”に絞ること自体、無理難題なのかも知れない。
と言うことで、僕が日本を代表する、十大妖怪として、十個選んでみた。
本当はもっと必要だが・・・。


日本十大妖怪
・鬼
・天狗
・河童
・狐
・狸
・竜
・幽霊
・山姥
・風神雷神
・トイレの花子さん

どうだろう。
むじなとかかまいたちとか雪女とかろくろ首とかのっぺらぼうとかツチノコとか海坊主とか、これも入るだろうってのはもっとたくさんあるだろうけど、10個に無理矢理絞って、権威のある人が言うことも考慮すればこうなった、という感じです。

100選くらいにしないと難しいな。やっぱり。


もっと知りたい!妖怪のブログ


プロフィール

ボリス

Author:ボリス
血液型:O型
趣味:音楽鑑賞、読書、ツーリング、心霊スポットめぐり
好きな音楽:ベートーヴェン、マーラー、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズ、谷山浩子、マイク・オールドフィールド など


一応作曲家です。
まだまだ先は長いですね。まるで樹海を彷徨っているようです。
ようこそ、僕の森へ。

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