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ロード・オブ・ザ・リングは本当に名作か?

オブザリング

僕は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズが非常に好きだった。
最近、ヴォーン・ウィリアムズをよく聴いていて、急にもう一度見たくなって、オークションで3部作のDVDを落とした。
そして、1作目「旅の仲間」を今日見たのだが、以前見たようなスケールの大きさや映像美などの感動があった一方、
どうしてもいろいろな矛盾点が目についてしまった。
そして、各キャラクターにカリスマ性が足りないように感じてしまった。

そして、本当に名作なのだろうか?と思うに至った。
いや、名作であることには間違いないし、
こういう割と昔のファンタジー小説をもとにした映画に矛盾点とかを指摘するのは非常にナンセンスなんだろうと思うけれども。

映画として、よりも、トールキンの『指輪物語』へのケチなのかも知れない。

まず、簡単に映画『ロードオブザリング』=『指輪物語』の概要を書く。
ワーグナーの『ニーベルングの指輪』や北欧神話に影響を受けた世界観で、非常に壮大なファンタジー。
冥王サウロンが作った世界を支配できる力を持つ指輪があり、それが最も支配よくの無い種族“ホビット”の手に渡って、まあ平和だった。
しかし、指輪にはサウロンの魂が宿っていて、サウロンは蘇った。
養父から指輪を授かった主人公のホビット、フロドは指輪を取り戻そうとする追っ手から逃れつつ、魔法使いのガンダルフや王家の血筋を引くアラルゴンたちと、指輪を葬るべく旅に出る。

そんな話。

ここからはネタバレになるが、僕が今見て、どうしても気になったことをいくつか書く。


  • まず最初のサウロンが倒されるシーン。全てを支配できる“指輪”をつけたサウロンがいとも簡単に倒されるのはなぜ?指輪の魔力とはいったい・・・。

  • ゴラムがあそこまで固執した指輪。ビルボは割と簡単に手放したように見えた。指輪の誘惑ってそんなもん?

  • アイゼンガルドとホビットの村、鉱山などの距離感がよくわからない。全部近くにあるの?ガンダルフがアイゼンガルドに行くときも異様に近く感じたし、ウルクハイの集団がアイゼンガルドから出発して旅の一団に追いつくまでが早すぎる感じがした。

  • ナズグルは弱すぎないか?3作目で、ナズグルの首領は割と驚異的に描かれていたが、今回5人もナズグルがフロドを襲いかかった割に、アラルゴン一人で全員相手できるほど弱かった。

  • 9人の仲間が、鉱山でオークの大群に襲われても、誰一人死なないし、ホビットよりオークが弱い。オークってそんなに弱い種族なの?

  • ウルクハイの首領(ラーツというらしい)がサルマンから「ホビットを生け捕りに、後は全員殺せ」と命令されて出撃したにも関わらず、ホビットを生け捕りにしかしてない。他の人は殺さなくて良かったの?


とか、いろいろと思うことはあったけれども、そんなことを考えながら見るのは野暮なんだろう。

やはり9人いて死ぬのが一人だけっていうのはちょっと不自然な気がするし、いろいろと気になったかな。
あと、意外と魅力的なキャラが少ないことにも気付いた。
フロドがまず好きになれない。
指輪とか関係なく何故かいつも狙われるし、やけにみんなからチヤホヤされる。
そんなにカリスマ性があるのか?
サムは多分ゲイで、フロドのことが好きなので仕方ないか。

結局この映画に、なかなか人間的なキャラがいなくて、共感を誘わないが、
サムは愛せるし、ちょっと悪役のボロミアは人間の弱い部分が一番見えてわりと好きになれた。
あとは、皆賢者過ぎて、ちょっと感情移入しづらいかな、と。

まあよく言われることだけれども、このシリーズの本当に主人公はフロドではなくてサムで、最も好感が持てるのもサムだろう。

僕は1作目よりも、2作目、3作目になってどんどん引き込まれた記憶があるので、大人になった今、2、3作目を見るのが楽しみだ。
どんな感想を持つだろう。


もっと知りたい!フロドのブログ


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名悪役にはベートーヴェンがよく似合う

「富士には月見草がよく似合ふ」
ならぬ、
「名悪役にはベートーヴェンがよく似合う」

ベートーヴェンと悪役、というのは、映画の中でわりとよく見かける。

まず、誰もがすぐに思いつくのは、
『時計仕掛けのオレンジ』のアレックスだろう。
時計じかけのオレンジ
ベートーヴェンと超暴力に生き甲斐を求める少年。
第九と暴力が常に結びついて描かれる。
政府によって暴力を嫌う身体にされてしまったとき、同時に第九を聴けなくなるが、
最後は、その暗示から解け、元の悪に戻ってしまう。
それを、第九を聴いても拒否反応を示さず、聞き入るアレックスによって暗示させるのは、見事、というかゾッとする。


そして、魅力的な悪役と言えば、まず口にしない人はいないであろう、
『レオン』のスタンフィールド。

スタンフィールド

ゲイリー・オールドマン演じる彼は、ウォークマンでベートーヴェンを大音量で聴き、
部下に「ベートーヴェンは好きか?」と聞く。
部下が、クラシックは聴かない、というと、
「よし、俺がベートーヴェンを演奏してやる」といい、マシンガン片手に一家惨殺を行う。
暴力表現としての“ベートーヴェン”の最たる例だ。

これには裏話が合って、ゲイリー・オールドマンが当時、
『不滅の恋ーベートーヴェン』という映画で主人公のベートーヴェン役を演じていた。
さすがに、悪役として名高いゲイリーオールドマン。
怪演というか、悪いベートーヴェンを非常に魅力的に演じている。
そのこともあって、『レオン』ではこの演出がついたのだろうと思う。


そして、やはり魅力的な悪役ランキング等には絶対いつも入るこの人。
『ダイ・ハード』のハンス・グルーバー。
アラン・リックマン演じる、知的でイカれた名悪役。
映画のストーリー的には特にハンスが第九が好きとかベートーヴェンが好きとか、そんなことは言っていない。
だが、彼らグルーバー一味の登場シーンに、ライトモティーフとして第九が流れる。
Wikipediaによると、『時計じかけのオレンジ』へのオマージュだとか。


どの悪役も、映画史に残る名悪役で、「名悪役ベスト」みたいなサイトには常に登場する人たちだが、なぜ“ベートーヴェン”なのか、なぜ“第九”なのか。

僕が以前読んだ映画の本で(タイトルは忘れたが)、『時計じかけのオレンジ』の“第九”について言及されていた。
第九の持つ「全てを許そう、犯罪者もなんでも、人類皆兄弟」というようなメッセージが、暴力を容認しているように聴こえ、アレックスの救いになっているのではないか?というような言及だった。
まあ一理ある。

ただ、僕の解釈は、少し違う。


「富士には月見草がよく似合ふ」

『富嶽百景』の一節だが、太宰治の意図はなんだろうか。
なぜ“月見草”なのか。
これは、竹取物語からの連想という解釈が多いですが、
それよりもまあ単純に、構図の問題というところが大きいでしょう。

小さく可憐な月見草のバックに、壮大な富士山。
そのちっぽけだけど富士に負けない美しさをもつ月見草と富士山の“対比”です。

一見大きさも種別も何にも関係なさそうな“月見草”と“富士”。
その2つを象徴的に結びつけたところに、太宰の分学的描写力が発揮されます。


「名悪役にはベートーヴェンがよく似合う」
一見、“悪(暴力)”と“ベートーヴェン”は直接は結びつかないかも知れない(暴力的な音楽ではあるが・・・)。
しかし、悪役をベートーヴェンの音楽をバックに見た時、“よく似合う”のである。
一方は社会のゴミ、一方は人類の宝。
ちっぽけな月見草が、壮大な富士山と対峙するとき、その美しさを際立たせるように、
悪役も、ベートーヴェンと対峙する時、そして共鳴する時、その“悪”のカリスマ性を発揮するのである。

何とも面白いものではないか。

童話作家 大海赫の世界

dokokanokunihe

ここ最近、大海 赫(おおうみ あかし)さんの童話にはまっている。
童話でありながら不気味でシュール、時には辛らつな内容だ。

挿絵も大海さん自身が描いてるものが多い。

ooumiakasi

この不気味な木版画の挿絵。「アオスジウソチョウ」というお話の挿絵。

僕が特に思わずゾッとしたのは、童話「ママが6人!?」の中の6人のママが中世の教会によく見られる回転体の重像文様のように円をなして描かれているものだった。


「ドコカの国にようこそ!」は、主人公のフトシ君が“ドコカの国”への鍵を手にするために、サラバさんが課す10のさまざまな過酷で不気味な試練をこなしていくもの。
最後の結末も、決してグッドエンドとはいえない。


「ランドセルは魔女」は、挿絵は大海さんではない。「おしいれの冒険」などの挿絵を描いたタケカワコウさんだ。
割とあっさりとした挿絵からは想像できないほど不気味な物語だ。
主人公は“ランドセル”を小学生を卒業した従姉妹からもらうのだが、その後彼女は気が狂って湖で入水自殺してしまうという、童話とは思えないような内容。
ランドセルを貰い受けたその後、主人公はその“魔女”のランドセルのお陰で、成績がぐんぐん伸びるのだが・・・。

「ビビを見た!」は、生まれつき目の見えない盲目の子供が主人公。しかし、ある日どこからか声がして、7時間だけ目を開かせてくれるという。その言葉通り目が見えるようになるのだが、同時にこれまで目が見えていた人々の目が見えなくなってしまう。
そんな中「敵が来る!」と、町中は大騒ぎ。目が見えない人々は、普段から目が見えていない人たちの助けを借りつつ、女、子供は皆非難するため電車へ。男たちは残って街を守ることになった。
目の見える主人公は、電車内で自分の他に目が見えるらしい一人の少女に出会う。しかし、その少女は何かにおびえている。「ワカオが来る・・・。」“ワカオ”というのが皆のいう“敵”の正体なのだろうか?



まだまだ、有名な作品がたくさんあるこの大海さんの世界。
多くの子供たちにトラウマを残したようです。
みなさんも是非、図書館で借りて読んでみて下さい。

ワンピース 大将のモデル

大将

ルフィーたちの最大の敵、海軍の最高戦力3大将は、どれも大物俳優がモデルと思われます。


松田優作
青雉(松田優作)


田中邦衛
黄猿(田中邦衛)


菅原文太
赤犬(菅原文太)

もしくは、

麻生太郎
赤犬(麻生太郎)

こっちも有力です。

でも、菅原説が最も有力です。
しゃべり方、刺青などから。

以上でした。


spoon.2月号でアリス特集!

皆さんご存知かご存知でないか知りませんが、 僕は不思議の国のアリスが大好きなのです。

ディズニーのももちろん好きで、DVDも持ってるんですが、 むしろ、僕が好きなのは原作の方で、そしてそれをあらゆる人が映画化、絵本化、もしくはそれをモチーフに物語を書いたり云々と言ったものに魅力を感じるのです。

つまり、アリスとアリス周辺文化といったところでしょうか。

アリスといえば、いろんな人が映画化しています。
特異なものを挙げれば、ヤン・シュバンクマイエルのアリスは、非常にシュールで、不気味なものです。

そんな中、ついに、ティム・バートンがアリスに手をつけるわけです。
アリス
ティム・バートンといえば「ビッグフィッシュ」「チャーリーとチョコレート工場」なんかが、まさにアリスを思わせる作品なだけに、いつアリスをやっても不思議でないとは思っていました。
まあ、適任中の適任でしょう。

しかし、正直バートンのアリスは、実は最初ほど期待していません。
というのは、ジョニーデップがまあまた出るわけですが、
彼が“いかれ帽子屋”役だそうです。
まあ、もちろんそれ自体はいいのですが、僕が危惧しているのは、
原作ではほんの1パートでしかないお茶会のキャラクターである帽子屋が、ものすごく異様なほど存在感をましてしまうのではないかということです。
バートン×ジョニーのコンビを際立たせるあまりに。
どうも僕が危惧しているいわば観衆に媚びた演出が、現実のものとなりそうです。


さて、「spoon.」の2月号で、アリスが特集されています。
spoon.2
もちろん、バートンの映画の情報も載っています。
今、アリスがきてるんですね、さすがティムバートン!!

spoon.は僕は割りと好きな雑誌です。
いつも立ち読みします。
でも実際持ってる巻は、この2月号と、別冊「森ガール」特集のものだけです。
「森ガール」特集の巻には、marini*monteanyも紹介されているわけです。

よく考えると、marini*monteanyにもアリスをモチーフにしたイラストがあったりしますし、 谷山浩子もシュバンクマイエルもティムバートンも、もともと僕がすきなアーティストは、 アリスをモチーフにした作品を手がけているなあと思うわけです。
というか、周りを見渡してみても、多くのアーティストがその影響を受けています。
ルイス・キャロルとは本当にすごいなあと思うわけです。

ちなみに、ルイスキャロルは、職業は詩人だったわけではありません。
数学者です。

何せ、アリスの次に出版した本が『行列式初歩』という代数研究の本で、そのほかにも『記号論理学』など、数学関係の出版物も多いわけです。
その影響もあってか、数学とか化学とか記号論とかいったものの現代の出版物に“アリス”とつくものも少なくないのです。
やはり数学というのは、ある種机上の空論を述べる学問であるとも考えられるわけで、それを本業とする人間がアリスのような空想きわまりの無い矛盾に満ちた世界を描くことは、必ずしも矛盾していないと思うわけです。
その点はシュタイナーも同じだと思います。

そもそも、芸術というもの自体が、理数系なのです。
音楽はピタゴラスによって理論付けされ、いわば数式を図式化したような楽譜という伝達方法で残されるわけです。
我々の耳にするほとんどの音楽に適用されている和声学も、音程の度数を数学のように論理的に扱います。

絵は、そのまま図ともいえるでしょうし、かつてダヴィンチも科学に精通していたわけです。
遠近法などはまさに数学、物理の世界ともいえるでしょう。 そして、だまし絵の技法なども数学と共に発展していったのでしょう。

詩、文学はどうか。
やはりそこにも内容以外で理論付けすれば、心地よく響く語呂や言い回しもあったりして、数学的です。
まあ、もちろんすべてにいえることではないとは思いますが、 まさに詩なんていうのは現代数学の世界に大きく関わっていると思うわけです。

芸術というものが霊感だとすれば、数学もまた、それにきわめて近いものだといえます。
なぜなら、数学も霊的自然科学も、目に見えないものを対象とし、部分的事象を見ずして全体を知ろうとする学問だからです。

以上です。

プロフィール

ボリス

Author:ボリス
血液型:O型
趣味:音楽鑑賞、読書、ツーリング、心霊スポットめぐり
好きな音楽:ベートーヴェン、マーラー、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズ、谷山浩子、マイク・オールドフィールド など


一応作曲家です。
まだまだ先は長いですね。まるで樹海を彷徨っているようです。
ようこそ、僕の森へ。

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