三大田園交響曲

最近になって、ベートーヴェンの交響曲《田園》は大傑作だと強く思うようになった。
もちろん前から傑作であることはわかってたが、“大”が付くようになった。

“田園”というテーマの中で、各楽章に完璧な形でそのテーマが織り込まれていて、しかもそれが美しい。

第1楽章〈田園に着いたときの心地よい気持ち〉は、冒頭の5度の響きも牧歌的だし、展開部では第1主題のモチーフをひたすら繰り返すだけで美しい音楽世界が生まれる。
この雰囲気には一生浸れる。

第2楽章〈小川のほとり〉は、小川の流れを表す弦の動きや、小鳥のさえずりが織り込まれ、一層描写的だ。
ベートーヴェンの頭の中に広がる風景は、こんなにも美しいのか。

第3楽章〈農民の楽しい踊り〉も、実にユニークな楽章。村人が酒場で楽しく踊るうちにどんどんテンションが上がってくる様子が目に浮かぶ。三拍子系のスケルツォから二拍子のトリオへのスムーズな移行が非常に斬新!
旋法的な和声にも驚く。

第4楽章〈雷・嵐〉もすごい。形式もなく、ここは完全な情景描写だが、ここで稲妻を表すためにこれまでティンパニが全く使われていないのもすごいと思う。風の音の表し方や、雨が徐々に降り始める様子なども、非常に明快に描かれていてすごい!

第5楽章〈牧歌・感謝の歌〉雨が上がって、雄大な牧歌が流れる。その雄大さがこれ以上なく美しい。

どこをとっても最高の表現で、ここまで音楽ですべてを描き切れる能力を持った人はいないのではないか。


《田園》と名の付く交響曲は20世紀初頭にも。

グラズノフの交響曲第7番。
こちらはロシアの“田園風景”なんだろう。
ボロディン風田園といってもいいかもしれない。

第1楽章は、一番田園っぽい。明らかにベートーヴェンを意識しているが、やはりどこかロシア的な牧歌だ。
少し映画音楽っぽくも聞こえる。

第2楽章は、どちらかというと、教会の音楽のよう。荘厳な雰囲気。

第3楽章は、羊飼いの笛か何かだろうか。ベートーヴェンのスケルツォとは一風変わった、爽やかな風が吹き抜けるような曲。

第4楽章は、ボロディンみたい。これまでの楽章の主題が組み込まれ展開する。土俗的な音楽。

グラズノフは、あまり個性を感じない作曲家だが、ボロディンやチャイコフスキーなどのロシア風音楽を、メンデルスゾーンで薄めたような作風。
チャイコフスキーだと暑苦しすぎる、と思う人にはお勧めかも知れない。


そして、3つめの“田園”。
ヴォーン・ウィリアムズの《田園交響曲》。
これはベートーヴェンが書いたものを想起させない“田園”だ。
イギリスの、緑の濃い田園。
少し物悲しくもあり、過ぎ去った日々を懐かしむようなイメージもある。

第1楽章は、そよ風に揺れる花、うっすらと霧のかかる高原といったかんじ。次々とうつろう旋律が美しい。印象派風。

第2楽章は夕方のよう。遠くからトランペットが聞こえてくる。とても幻想的で物悲しい。

第3楽章は、作曲者が“スローダンス”と形容している。全曲中最も華やかで、吹奏楽のアイリッシュなマーチを思い出す。

第4楽章はまたがらっと雰囲気を変えて、感情的な美しい曲になる。遠くからヴォカリーズが天使の声のように聞こえて、自分もに召されて行くよう。全曲中のクライマックスだろう。美しすぎる。


とにかく“田園”と名の付くものは、どれも情景描写的で愛すべき作品ばかり。
ドイツ、ロシア、イギリスの田園めぐりをした気分になれます。

みなさんも“田園”の魅力に浸ってみてはどう?

日本の“田園”は、棚田の風景か、それとも田園都市線からの住宅街の車窓か。


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好きな交響曲ランキング(作曲家制限無し)

前に、好きな交響曲を、1作曲家1曲制限でやったが、その制限無しでやってみようかと思う。


第 1位:ベートーヴェン 第九
第 2位:マーラー 第9番
第 3位:ヴォーン・ウィリアムズ 田園交響曲
第 4位:マーラー 第1番
第 5位:シベリウス 第5番
第 6位:マーラー 第6番
第 7位:ベートーヴェン 第7番
第 8位:マーラー 第5番
第 9位:ベートーヴェン 第6番「田園」
第10位:ショスタコーヴィチ 第5番
第11位:マーラー 第3番
第12位:マーラー 第7番
第13位:ベートーヴェン 第5番
第14位:マーラー 第10番
第15位:チャイコフスキー 第6番
第16位:シベリウス 第7番
第17位:ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲
第18位:シベリウス 第6番
第19位:ハンス・ロット 第1番
第20位:ブラームス 交響曲第4番

先の“作曲家制限あり”の方と矛盾する結果のところもあるけど、やはり甲乙付け難いので、そのときの気分にもよると。

しかし、20個出した割に、作曲家8人に絞られてしまいました。
まあ、個人の好みなので偏りますわな。

ベートーヴェン、マーラー、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズは自分にとって特別な4人ですね。
あと一人いたら、ちょうど良いんだけど・・・
四天王にしましょう。

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ラストシンフォニー考 ―各作曲家の交響曲のベクトル

交響曲ファンにとって、シンフォニーとは、その作曲家そのものである。

とある偉人がこう言っていた。

「すぐれた画家や彫刻家は 自分の『魂』を目に見える形にできるという所だな。
まるで時空を越えた「スタンド」だ・・・」 ー ディオ・ブランドー

dio
ディオ・ブランドー(1867 - )

これはもちろん作曲家にも言えることで、作品は魂の具現化だ(ジョジョの世界ではそれを“スタンド”と呼ぶ)。

そして、作曲家がそのときそのときの自分の出せる力を遺憾なく発揮する、自分のすべてをつぎ込む作品、それこそ“交響曲”というジャンルなのである。

その“交響曲”を順に追って行くと、その作曲家のそのときの魂そのものを体験できる。
まさに、交響曲を聴いて行くことは、その作曲家の人生を追体験することに他ならないのだ。

そして、ラスト・シンフォニーというのは、その行き着いた先にある。
その人の“交響曲”というのは、ラストシンフォニーに向けて、紆余曲折しながら進んでいく。

これから具体的な作曲家の例を見て行こう。

ベートーヴェンは、常に革新を求めていただろう。ピアノソナタや弦楽四重奏曲などで実験しつつ、その成果を交響曲にまとめて来た。
ラストシンフォニーは言わずもがな《第九》。
まさに詩と絶対音楽の融合であり、新たな時代(ロマン派)の幕開けとなった。
彼の交響曲のベクトルとは、常に新しい時代を向いていた。

ブラームスは、ベートーヴェンの壁を越えるべく20年かけて交響曲第1番を発掘した。
それからは呪縛を逃れたように第2〜4番を作った。
ラストシンフォニーの第4番に現れたものとは、アカデミズムの究極の形とロマン性の融合か。
ベートーヴェンの影に怯えながら、アポロン的な絶対音楽の形式美と、自分の中から湧き出る歌謡性を折衷させた。

ブルックナーは、ひたすら同じ曲を作り続けた。
なぜか。それは人間が聴くためのものではなく、神に捧げるものだったからではないだろうか。
彼の中には常に究極の形、イデアが見えていた。
そのイデアに近づこうと、イコンとしてのシンフォニーをひたすら作り続けた。
彼のベクトルは、常に神と確固たるイデアに向かっていた。
ラストシンフォニーである第9番は未完に終わった。
しかしそれは、神の答えである。
第8番を見てみると、第3楽章で究極の緩徐楽章を生み出した。
それは、昇天するかのような世界。
しかし、フィナーレの第4楽章では、天から神々しく、荘厳に降臨する。
恐らく第9は、第3楽章で昇天し、神が「もう降りなくて良い、天に留まれ」とブルックナーをついに受け入れたかのようだ。

チャイコフスキーはどうだったか。
最後のシンフォニーは、史上初めて息絶えるように静かに終わる。
深い沼に入って行くようだ。
これは“人生シンフォニー”といえる。静かな別れのシンフォニー。
死にゆく自分と、これまでの人生を振り返る、個人的なシンフォニーだ。
しかし、自分の死と言うものを客観的に捉え、悲劇的である。
そして、そこにはチャイコフスキーのこれまでの音楽の素晴らしい要素がふんだんに詰まっている。

マーラーは、もっと個人的で主観的だ。
自分が感じたこと、周りの雑多な環境音まで全部自分の世界に取り入れてしまった。
彼にとって交響曲は“世界”そのものだった。
そしてもう一つのベクトルは“死”という観念。
ラストシンフォニー、第9番では、“死”は単なる象徴ではなくなった。
客観的な“死”が、今まさに自分が体験しようとしている主観的な“死”そのものになった。
死神ハインと踊る、なんて悠長なことは言えなくなったわけだ。
そして、最後は、この世にすがりつくように、息も絶え絶え、なかなか終わらない。
ベクトルは客観性→主観性だろう。

シベリウスは、マーラーとは対極だ。
マーラーがすべてを取り込もうと雑多になっていたのとは真逆で、シベリウスは“純化”させ、いろいろな要素を“同化”させようとしてきた。
第2番は第3楽章と第4楽章が、ベートーヴェンの運命のようにアタッカで演奏される。
第3番になると、ついに第3楽章と第4楽章はくっついてしまって、一つの楽章となる。
第5番もしかり、第1楽章のソナタ楽章と第2楽章の予定だったスケルツォは統合され、一つの楽章になる。
そして第7番はついに、交響曲のあらゆる楽章の要素がが全て一つの楽章にまとまる。
単一楽章となり、演奏時間も20分と、究極に“純化”され“同化”された。

ヴォーン・ウィリアムズは、イギリスの風景を描写するような音楽家だ。
第3番にあたる《田園交響曲》なんかはその極みだ。
しかし、徐々に内面にある何かわからない“黒い”ものがしみ出して来たようだ。
そして、最後の第9番は、その煮え切らない何かがスタンドとなって現れた(またジョジョに絡める)。
こちらの誰かのブログで、この曲を「黒くて重い何かがうごいていく。」と表現していた。
見事な表現だと思って、感服した。
ラストシンフォニーが“黒い”とは、何かゴヤの最後に辿り着いた“黒い絵”を思い出す。
美しい風景を描いていたと思ったら、知らないうちに黒い何かを描いていたのかもしれない。

ショスタコーヴィチ。
彼のラストシンフォニーの最後は、ベートーヴェンのように壮大でも、チャイコフスキーやマーラーのようにこの世への静かな別れでもない。
病院の点滴の音だ。
なんて現代的で、冷たく無常な“死”だろう。
彼にとって、交響曲は、自分の創造力と共産党の圧力の折衷だった。
そんな中で彼は、より“現実的”な世界へと向かっていってたのだろう。
形而上学的な世界は19世紀で終わったんだよ!と言わんばかりだ。

さて、最後に、
最近聴いたマルコム・アーノルドの交響曲について書きたい。
彼の交響曲は、第5番が圧倒的に良い出来だが、基本的に中身が無い。
非常に軽妙で、オーケストレーションの派手さだけでやっていってる。
まるで、口の上手さだけで上り詰めたチャラいハリボテ男のような曲。
そういうのが悪い、と言ってるのではない。何も考えず、その瞬間は楽しめるし、その後何も残らないので、このあと何か重要な仕事がある人とかは良いかも知れない。
You tuberのシバター風に言えば「この後セックスするカップルには丁度いい」かもしれない。
しかし、1番から9番まで聴き進めたところで、すごい世界が待っていた。
そう、彼のラストシンフォニー、交響曲第9番。
そこには、これまでの内容の無いハリボテ交響曲とは違い、確実に何かがあった。
それは“内容が無い”という内容だ。
“内容が何も無い”という、すごい内容がそこには存在したのだ!!

言い換えるなら、それは“虚無感”と言えるだろうか。
第1楽章から、どうでも良いようなクソメロディと、それに似合わない妙な壮大さ。
第2楽章は非常に虚無のかたまりで、ひたすら同じ繰り返し。
そして第3楽章は、ひたすら明るい、もうギャロップみたいに明るいんだけど、この楽章がもっとも“虚無感”を与える。
オーケストレーションの異様な薄さ、それなのに、必死で盛り上げようとしているメロディ。
そう、“空元気”だ。
それも痛々しいほどの。
第4楽章は、それだけで20分もある曲だが、ひたすらうつろな世界が続く。基本2声部しかない。
オーケストラなのに、ずーっと2声部で20分以上、盛り上がりもしない。
しかも、これまでの交響曲が30分程度なのに、この交響曲は50分近くある。
死ぬほどの退屈な時間と、虚無感に襲われた。
しかしそれは、新鮮な体験だった。

これを聴いた後、今までの彼の交響曲を聴いてみたら、なんということだろう!!
少し面白く聞こえてくるではないか!!

今まで奥さんに、見かけだけ綺麗なまずいご飯を出されていた主人が、嫌気がさしていたところ、
ある日、見かけもまずそうで、究極に何の味もしないティッシュペーパーみたいなご飯を出された。
ついにそこまで行ったか、とある種の関心をしていたら、
次の日これまでのご飯が出て来て、あら、なんかちょっとティッシュに比べたら味がある!的な。

これは僕はとてもすごい体験をした。
アーノルド、恐るべし、だ。

どうもこの第9番、委嘱で書いていたものの、スランプに陥っていて、全然かけなくて、締め切りにも間に合わなくて、でも周りの人の献身的な支えでなんとか書き上げたもののようだ。
曲に見事にその想いが反映されてるのだからすごい。
「嫌々書きました〜〜!!」って。
でも、これまでの交響曲より長大!!

面白い作曲家だ。

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ヴォーン・ウィリアムズとバルトーク

ヴォーン・ウィリアムズが、僕のツボにどストライクだったらしく、ここ最近は彼のことが忘れられない日々だ。
これほどにハマった作曲家というのはこれまでにベートーヴェンとマーラーくらいのものだろうか。

そして、基本的に僕はドイツ・オーストリアものが好きなんだと思っていたが、ここにきてイギリスものというのにハマりつつある。

イギリス曲集

先日も、このヴォーン・ウィリアムズとディーリアスとウォルトンが入ったCDを買った。
それに、今マルコム・アーノルドの全集をたのんでいる(あまり期待していないが)。

イギリスなんて今まで特に意識してなかったと思っていたが、よく考えればロックではイギリスものにかなりはまり込んだ歴史があった。

マイク・オールドフィールドとエニドで、特に前者は曲にアイリッシュなものを多く取り入れていて、ヴォーン・ウィリアムズと通じるものがある。


そういえば、ヴォーン・ウィリアムズの《交響曲第4番》の第3楽章の途中を聴いていて、何やら既視感?既聴感?の用なものを感じた。
金管がフーガっぽくなる部分だが、これはどこで聴いたことあるんだろう、と結構考えた。
3日くらい考えて、やっと思い出した。
バルトークの《管弦楽のための協奏曲》の第1楽章だ!

年代からいって、《交響曲第4番》の方が10年ほど古いので、影響を受けたとするとバルトークの方が真似したんだろう、と思った。

そこで、もう一度《管弦楽のための協奏曲》を最初から最後まで聞き直してみてわかったことがある。
多分、その頃のバルトークは、ヴォーンウィリアムズに影響を受けていたのではないか、と。

そう思われる部分は他にもあった。
第4楽章〈中断された間奏曲〉の中で、第2テーマがグリーンスリーヴスっぽい。
しかも、ヴォーンウィリアムズの《グリーンスリーヴス幻想曲》のオーケストレーションそのままっぽい。
僕がこの《管弦楽のための協奏曲》を最初に聴いたときからそれは感じていた。なんかイギリス民謡っぽいな、と。

思えば、ヴォーンウィリアムズもバルトークも、自分たちの国の民謡を採取して、それを自作に取り込んでいた。
彼らが直接知り合いだったかどうかはわからないが、何か通じるものはあったんじゃないかと思う。


好きな交響曲・総合ランキング(1作曲家1作品)

真夜中の投稿です。
ついに作曲家別ではない、好きな交響曲ベストを書きます。

1〜20位まで、そして一人の作曲家につき、一作品までとしましょう。
そうじゃないと、上位はほとんど2人くらいの作曲家で埋まってしまいそうなので。
1位から順に。

第1位:ベートーヴェン 交響曲第9番
人類史上最高の音楽遺産。

第2位:マーラー 交響曲第9番
膨張し続けた交響曲の断末魔。

第3位:ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
緻密さとユーモアの落差の魔術。

第4位:チャイコフスキー 交響曲第6番“悲愴”
初代・モレンド交響曲。

第5位:シベリウス 交響曲第7番
澄みきった湖、交響曲のもう一つの究極の形。

第6位:ヴォーン・ウィリアムズ 田園交響曲
音楽による心象の風景描写。

第7位:ハンス・ロット 交響曲第1番
きらめく青春と精神の暗雲、若きウェルテルの悩み。

第8位:ブルックナー 交響曲第8番
神へ捧げる音楽。

第9位:ブラームス 交響曲第1番
超えられない壁に対峙した努力の結晶。

第10位:ベルリオーズ 幻想交響曲
病的に早すぎた交狂曲。

第11位:ベリオ シンフォニア
“死”と“水”が織りなすポスト・モダンの開拓。

第12位:シュニトケ 交響曲第5番(合奏協奏曲第4番)
秩序が混沌に変わる時。

第13位:シューマン 交響曲第3番“ライン”
不気味な浮遊感と清々しい交響的大河。

第14位:ドヴォルザーク 交響曲第7番
土臭くなる前の、ドヴォルザークの高潔で正統なシンフォニー。

第15位:ラフマニノフ 交響曲第2番
これ以上無い、わざとらしいほどの甘美な旋律。

第16位:グラズノフ 交響曲第7番“田園”
爽やかな風が吹き抜けるような気持ちのよい世界。

第17位:ノアゴー 交響曲第3番
夢の中にいるのかと錯覚させる不思議な世界。

第18位:シューベルト 交響曲第8番“ザ・グレート”
野暮ったい序奏がかっこ良くなって再登場。

第19位:水野修孝 交響曲第1番
巨大なモンスター《交響的変容》の“変容”。

第20位:メンデルスゾーン 交響曲第4番“イタリア”
雄大な第1楽章と鬼気迫る第4楽章。


何か、誰か重要な人を忘れてそうだけど、まあいいや。
正直7位以降は順不同って感じです。
どの作曲家にも、それぞれ良いところがあって、それらは甲乙付けがたいものです。
それに、20位以内に入らなかった中にも、思い入れの強いものや、一時ハマったものなんかがたくさんあります。

惜しくも順位に入らなかった、プロコフィエフやラウタヴァーラ、マルティヌーやニールセン、ブロッホ、スクリャービンなど、思い入れが強いです。全集も持ってるしね。

日本人の作曲家が一人しか入ってないけれども、
吉松隆も好きだし、私の師匠である池辺晋一郎先生も10曲ほど交響曲があって、魅力的なものが多い。
つまるところ、20個以内になんておさめられないし、そもそも順位なんて付けられない。
そう考えると、ベスト10で良かったような・・・。

そして、ハイドンが入らなかったが、ハイドンは、特に好きじゃない。
あんまり聴かないしね。

プロフィール

ボリス

Author:ボリス
血液型:O型
趣味:音楽鑑賞、読書、ツーリング、心霊スポットめぐり
好きな音楽:ベートーヴェン、マーラー、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズ、谷山浩子、マイク・オールドフィールド など


一応作曲家です。
まだまだ先は長いですね。まるで樹海を彷徨っているようです。
ようこそ、僕の森へ。

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