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松井冬子の世界

松井冬子という画家がいる。
つい最近、NHKで特集されたこともあった。
『痛みが美に変わるとき』という題名で。

彼女の作品は、どれも目を覆いたくなるようなものばかり。
何かしら“女性ならではの痛み”というものを書いているらしい。
夜盲症
幽霊画のような『夜盲症』。

浄相の持続
代表作の一つ『浄相の持続』。

終極にある異体の散在
『終極にある異体の散在』。
意味深過ぎる題名。

ただちに穏やかになって眠りにおち
『ただちに穏やかになって眠りにおち』
入水自殺をする象さん。ドビュッシーの“子供の領分”の第2曲『象の子守唄』を聴くとこの絵を思い出してしまう。

世界中の子と友達になれる
僕の一番好きな絵『世界中の子と友達になれる』。
シニカルな題名。

彼女は女性としては初めて芸大の日本画科の博士号を取得した人物。
松井冬子
こんなに綺麗な人。
彼女の履歴を聞くと、僕もすごく励まされる。
彼女が芸大に入りなおしたのは24のころ。
それから修士、博士号までとり・・・それからプロデビューして、現代日本画界に新風を巻き起こす。
まあ女性だからなのかな?
いや、僕も頑張る!!

先日、というか半年くらい前、彼女の個展が静岡の浜松市で行われるというので、友人と泊り掛けで見に行ってきた。
非常に刺激される展示だった。

ただ・・・・、

解説長すぎ・・・。
絵画技法の解説ならまだしも、解釈の仕方までこと細かく書いてある。
本人の解説だから、間違いは無いのかも知れないが・・・。

これでは絵の普遍性を狭めてしまう。
受け手の考える余地を与えさせない。
解説の陳腐な社会論への止揚(アウフヘーベン)を私としては容認するわけには行かない。
絵の芸術性が、完全に低俗なジェンダー論に置き換わってしまっている。

絵の発する言葉とは、その作者であろうとコントロールすることは難しいのである。
それを無理に付け加えることによって、その絵は“絵”としての主体性を失ってしまう。


さらに、僕はこの作者解説を、非常にうそ臭いものに感じてしまった。
というのも、画家の立島夕子さんのことを思い出したからだ。
あたしはもう お嫁にはいけません
立島夕子の代表作『わたしはもう お嫁にはいけません』
不気味な顔と黒、赤というマークロスコ色で不気味さを演出。
彼女は、非常にうそ臭さの漂う画家だ。
そこには明らかな陳腐な狙いがある。
“芸術”という概念自体がややもすればうそ臭いものなのかもしれないが。
しかしそこには、作られた2重のうそ臭さがある。
一つは“芸術”そのものに内在するうそ臭さ。
もう一つは、作品を“芸術”と呼ばせるにあたる画家自身の計算によるうそ臭さ。

“芸術”という概念は、送り手から発せられるものではなく、100%受け手側から発せられるものであると僕は考える。
ただし、バスケをしていて、ゴールをしようとするとき、どこでもかしこでもとにかくボールを投げてたんじゃゴールすることは難しい。
ただ、下手でも遠くでもゴールを目指してボールを投げれば、当然入る確率も上がる。
送り手ができるのは、その行為だけだ。
ボールが入るか入らないかは、そのゴールの位置や穴の大きさによる。
つまり、それが受け手の琴線だ。
そう僕は考える。

ただ、松井冬子に戻ると、解説が受け手に芸術とは別のゴールを作ってしまい、そこに一生懸命ゴールしようとしているように思える。松井冬子というチームのほとんどのプレイヤーがそちらのゴールを狙っていて、数名が芸術のゴールを狙っているといった錯乱状態。
メタファーを形象化するのはいいが、そのメタファーを画家自身付属の言葉で明らかにするのは、画家が自身の芸術性を陳腐に超訳(行き過ぎた翻訳)することに等しい。
画家自身に内在する深層心理とは、本人にも100パーセントはわからないもの。
それを説明しようとすることによって、かえってそれをふさぎこんでいるように思われる。
そこに一つのパラドックスが生まれる。
何せ、それを「芸術」と思わずに想像してきたアールブリュットの画家たちが“真の芸術”に到達した(と僕は思っている)のだから!
芸術って深い、よくわからなくなってくる。

ということで、僕のピアノ曲『6つのノクターン』の初演の解説は、そういったことを生む結果の一つになってしまったわけです。
やはりクリエイターというのは、やはり“見方”を語りたくなるものなのですね。


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テーマ:art・芸術・美術 - ジャンル:学問・文化・芸術

comment

no subject

初めまして。先ほどアウトサイダー系のアートティストの作品をネットで眺めていまして、立島夕子さんで検索かけたところこのブログがヒットしたので拝見させていただきました。
芸術についての解釈の部分では、頷ける部分が多く
僕の上手く言葉に出来なかったことがきれいに言葉になっていて、なんだかコメントを残さずにはいられない気持ちになり、コメントを書かせていただいている次第です^^;

僕も芸術においては余計な言葉は不要だと思っております。芸術家自ら解釈を1つに絞るとは非常につまらないと思いますね。余計な言葉が加わったとたんにそこにある芸術は一瞬にして只のつまらない絵に転ずる。と言うのが僕が表現と関わってきて常々感じることであります。

因に立島夕子さんには僕もあざとさを感じます(笑)
  • 2009/11/25(水) 01:53 |
  • やぎ |
  • URL
  • [編集]

>やぎ様

コメント、ありがとうございます、そう言っていただけて、大変嬉しく思います!!
やぎ様もアウトサイダー系の画家がお好きなのですね!僕も本をみんなに見せては布教活動していますが、なかなか興味を持ってくれる人がいません。というか、美術が好きな人自体、周りに少ないですし、美術に興味があっても、印象派がすきとか、そういう人はたくさんいるのですが・・・。

やはりやぎ様のおっしゃるように、言葉の蛇足は美術作品本体にもマイナスの影響を及ぼしかねませんよね。
絵に比べて言葉はさらに具体性をもっているからこそ、恐い・・・。
コメント大変嬉しかったです、ありがとうございます。
こんなちょっと衒学的で散文チックなブログですが、また是非見に来てください!

no subject

レスありがとうございます。
僕の作品(まぁ、基礎もへったくれもない落書き、かっこ良く言えばドローイングみたいなものなのですが。)も是非見てもらいたいです^^

また見ににきますね!
  • 2009/11/25(水) 03:01 |
  • やぎ |
  • URL
  • [編集]

>やぎ様

ぜひぜひ見せて頂きたいものです。
とはいっても、僕は絵を描くのは下手糞でして、絵の方は専ら鑑賞なのですがw
本当に記事を書くことの励みになりました、ありがとうございました。

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プロフィール

ボリス

Author:ボリス
血液型:O型
趣味:音楽鑑賞、読書、ツーリング、心霊スポットめぐり
好きな音楽:ベートーヴェン、マーラー、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズ、谷山浩子、マイク・オールドフィールド など


一応作曲家です。
まだまだ先は長いですね。まるで樹海を彷徨っているようです。
ようこそ、僕の森へ。

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