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“死の舞踏”の繁栄

“死の舞踏”という主題は、14~16世紀を中心に、多くの西洋絵画の主題に選ばれてきた。
14世紀のペストの流行がモチーフとなっているという説が有力だが、
死におびえる人々は、広場で死ぬまで踊り続けたという。
16世紀の、『大使たち』で有名なハンス・ホルバインもその題材で版画を彫っているが、
そこでも見られるとおり、“死”の擬人化として“骸骨”が用いられている。
現在でも死神=骸骨で表されることは多いが、それはどの時代でもさほど変わらないことなのだろう。
そこには、死への純粋な恐怖というよりはむしろ、“死との馴れ合い”が見て取れると、坂崎乙郎は著書『幻想芸術の世界』の中で述べている。
坂崎はそれを『死の舞踏』という主題における陥穽と、否定的にみているが、僕にとってそれは、逆に不気味に感じられる。
“陽気な死”の表し方。
あまりに楽天的で狂気じみた世界のように。
それは、20世紀まで時代を進ませれば、スティーブンキングが「イット」で見せる殺人ピエロの恐怖と同じ類のもので、陽気な音楽に乗って陽気に人間に襲い掛かる、ピエロという“馴れ合い”を目的としたものをむしろ逆手に取った、見事な恐怖の描き方であった。

音楽における“死の舞踏”は、やはりサン=サーンスやリストが有名だろう。
そこには、やはり絵画の“死の舞踏”のように、おどけた、諧謔的な不気味さが潜んでいる。
そこで語られる“死”の象徴は、やはり滑稽な“骸骨”=木琴である。
リストは、グレゴリオ聖歌のレクイエムの“ディエス・イレ(怒りの日)”を題材として取り上げているが、
その旋律は、西洋では誰もが知っている“死の旋律”である。
いわば、その旋律が、音楽における“死の舞踏”の題材のように扱われ、他にもベルリオーズ、ラフマニノフなど多くの作曲家に引用されている。
中でもベルリオーズの『幻想交響曲』の第5楽章は非常に不気味で、サバト(魔女の宴会で、山羊の悪魔バフォメットを中心として行われる)の場面を描写しているが、またしても諧謔的で、滑稽にすら思える。最後は集団狂気に陥ったように、躁状態のまま華やかに終わる。
“集団狂気”というキーワードもまた、“死の舞踏”の根幹を成す要素なのであった。

さて、音楽、絵画、文学、他、それら隣接芸術は、やはり時勢的な共通点を持つものだが、
“死の舞踏”の盛期を、僕はある3点に絞りたい。
すなわち、
①ルネサンスのヒエロニムス・ボスやブリューゲル、ホルバイン、リュッツェルブルガー、それに続くバロックのカロ(戦争の惨禍)など。
②ロマン派のベルリオーズとゴヤ。
③世紀末芸術~シュルレアリスト。

3点に絞るといいつつ、非常にバランスが悪いことをお許し願いたい。

①はまだ音楽が芸術として昇華される以前のものであるため絵画における盛期である。
キリスト教において“彗星”は不吉の象徴であるが、それがもたらす災いは、自然災害、疫病、戦争である。面白いことに、日本の法華経においても、“彗星”は不吉の象徴とされ、自然災害、疫病、自界叛逆(じかいほんぎゃく=内乱のこと)と他国侵逼(たこくしんぴつ=戦争)であることは面白い。
①の場合は特に、中世の西洋を席巻したペストの脅威と100年戦争だろうか。ボッカチオの「デカメロン」はその開始宣言のように思えなくも無い。
②のベルリオーズとゴヤはよく関連付けられる同時代の2人である。絵画と音楽には同時代で関連付けられる定番があり、その最も有名な例だろう。悪魔崇拝のようなオカルティシズム(さらにそこには独特の歪んだエロスが含まれている)に主な特徴が見られる。
③そして、もう一つ、その絵画と音楽の関連付けの定番の常連といえば、グスタフ・マーラーとグスタフ・クリムト、2人の“グスタフ”。
各世紀に当然“世紀末”はあるのだが、19世紀末を取り立てて“世紀末芸術”と呼ぶのは、やはり10世紀単位の世紀感から、終末観を多く感じ取り、実際に「ロマン派」という長い時代は調性和声と共に解体されていった時期でもあった。誰もがそこに“限界”を感じたのだろう。
そこで扱われるテーマは、死、退廃、懐疑といったネガティブなものとなる。
その中心がマーラーとクリムトだったのである。
ユーディト=サロメ=アルマ・マーラー(マーラーの奥さん)と言ったファム・ファタル(宿命の女)と言った主題は、②のゴヤやベルリオーズにおける梅毒論にも結びつく。ファム・ファタルは大抵、男を翻弄する悪女のような姿で描かれ、それは日本における仏教思想の「飛閻魔(ひのえんま)」にも見られる。
そして、当然のように描かれるネガティブの究極体、“死”である。
死と生
例のごとく、死は骸骨で表される。
一方、マーラーは、最後の交響曲、すなわち「大地の歌」、第9番、第10番は死の3部作と呼ばれており、また、マーラーのほとんどの交響曲には、楽章として「死の舞踏」が含まれる。その多くはスケルツォ楽章であるが、スケルツォは日本語では“諧謔曲”と訳される。
実際、交響曲第4番の第2楽章や交響曲第10番の第4楽章で描かれる死神は、マーラーが「陽気なやつ」とか「私と共に死神が踊る」と、そこにはやはり“馴れ合い”が見られる。
死神や死、悪魔を表す楽器としては、これは西洋では通俗だが、ヴァイオリン、クラリネット、ミュートトランペット、そして木琴。
悪魔や死神がヴァイオリンや笛類を奏でる絵画はベックリーンをはじめ非常に多い。さらに、サン=サーンスの交響詩『死の舞踏』やマーラーの交響曲第4番の2楽章では、通常通りに調弦されていないヴァイオリンが登場し、さらに不気味さを演出する。
ミュートトランペットは、不吉な音がするが、「トランペット」自体、天使を意味する楽器だが、そのベルを塞ぐという行為自体不吉を意味するのではないかと思う。
木琴は前に述べたように“骸骨”の象徴である。

マーラーの多くの交響曲に含まれる“死”のキーワード、すなわち“葬送行進曲”“死の舞踏”“レクイエム”などは、第3、8交響曲以外の8つの交響曲にすべて入っている。
それも非常に自己韜晦とアイロニー、諧謔にまみれた形で。
非常に不気味な世界がそこに広がる。
ことに第7交響曲(夜の歌)の唐突な躁状態はまさに“分裂症”的で、狂気乱舞という言葉がぴったりだ。病的な躁状態と不安定さ。
マーラーを語る上で無視できないキーワード“分裂症”は、そのままボスやシュールレアリストの特徴とするところである。
そこに、シュールレアリストという新たな“死の舞踏”の画家たちの存在が現れるわけだが、
まあ、ここでは、マーラーが、現代音楽のシュールレアリストを語る作曲家たちよりもシュールレアリズム的だということだけ語っておきたい。
それは解体と結合、コラージュ、自己韜晦といったところか。
それを、あくまでわかりやすいモチーフを元として行う。
そこにはマンネリ化した骸骨に代わる新たな死の象徴が多く現れる。
それが、ベルメールの「人形」であったり、ベーコンの解体、融解、叫びと言ったテーマに結びつくのではなかろうか。
むしろ「マンネリ」はシュールレアリストの一つの特徴でもあるわけだが、
その「マンネリ」も彼らの中で最大限に昇華され、分解と結合によって新たな形を得るまでになっていると僕は考える。


さて、この記事は音楽に分類しようか、絵画に分類しようか。
あああ、分裂症。


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  • 2013/06/17(月) 17:39 |
  • |
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no subject

はじめまして!

現代音楽のシュールレアリストを語る作曲家たちってありますが例えばだれでしょ??

文学や、絵画では自らが語ることは多いと思いますが、音楽だと、どうなるんでしょうか??
  • 2013/06/24(月) 16:25 |
  • 分裂症 |
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趣味:音楽鑑賞、読書、ツーリング、心霊スポットめぐり
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