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携帯電話の弊害

昨日、電車の中で思いっきりでかい声で携帯電話でおしゃべりしてるおじさんがいて、腹が立った。
でも、考えてもみよう。
なぜ、電車で電話するのがダメなのか。
うるさいから?
うるさいなら普通のおしゃべりの方がうるさいじゃないか。

高校生のとき、それに関する論文を読んだ(どなたのものかは覚えていないけれども、どこかの大学の学者さんの)。
それによると、集団的連帯感の欠如が問題なのだということだった。
バスや電車など、公共の乗り物に乗ると、人は運命共同体となり、無意識に連帯感を持つ。
その中で電話というものは、外へと繋がる、いわば抜け駆けの回路である。そこに連帯感の綻びを他の人は見て取るのだということだった。

なるほど我々は家族団らんの食事の場で、携帯電話に出ることを、もしくはメールをしながらということをそれなりに注意されて育ってきたと思うが、それは単なる食事マナーの話ではない。
家族というコミュニティの綻びがそこに危惧されるからというのも大きな理由の一つだろう。

事実、子供などが携帯電話を持つことになって家族の連帯感が薄れた例は少なくない。
一般に言われているように、有害サイト(子供にとってはすべてのものが有害といえる)の問題はまだ小さい。
子供の友達と親との結びつきも薄れ、親は子供のことを知りにくくもなっている。
僕らの世代は友達に遊びの約束をするとき、その人の家の電話に電話するわけだから、当然その親も出る可能性があるわけだが、携帯電話の場合、親はそれを把握できない。
悪友に、もしくは阿久悠にどんどんわが子の心が奪われてしまう。
まあ、もちろん、わが子が阿久悠に心打たれることは、悪いことではない。
しかし、子供は子供らしいものに心打たれて欲しいじゃないか!!
宇宙船艦ヤマトならまだしも、「あの鐘を鳴らすのはあなた」とか聴き出したらどうする!!??


まあ、それはおいておいて、こういう頭の悪い人がいる。
「自立を早めることはいいことじゃないか。」
頭が悪すぎて非常にかわいそう。
自立すべきでないところで自立させるというのはまずいいことではないだろうし、その前に家族から依存する場所が変わるだけのこと。
しかもそれらは彼らを突き放すことは無い、もっと依存度の高い危険因子なのだ。
そして、結果的にそれらは、さらに社会に出にくい状態を作り出す危険性もある。


さて、携帯依存症という言葉があるが、どうも3人に1人はそうであるといわれるらしい。
メールが返って来ないと不安になる、四六時中のつながりを求めるあまり携帯を手放せない・・・と言ったものだが、
今、社会自体が依存症にかかっていると僕は思う。
携帯がないとどうしても不便な社会である。
まあもちろん、携帯を持たなくて障害があるといったわけでもないが。
そもそも「不便」と感じ、今の社会を「携帯がないと不便な社会」と言ってしまった僕は、自分が携帯依存症であると認めたようなもの。
そういえば、そうだ。
僕は、基本的にメールを返さないやつが嫌いだ。
返信が遅いのは仕方が無い。
でも、さすがに1週間経ってたり、しかもその間に他の人とはいくらでもメールのやり取りをしていたりというのは腹が立つ。
要するに「返すの忘れてた」ということは、所詮その人にとって自分はそこまでの存在でしか無いということになる。
自分のことが嫌いな人を、人は好きになれるのか?と思ってしまう。

まあ、これも一つの携帯依存症の症状だろう。

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プロフィール

ボリス

Author:ボリス
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趣味:音楽鑑賞、読書、ツーリング、心霊スポットめぐり
好きな音楽:ベートーヴェン、マーラー、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズ、谷山浩子、マイク・オールドフィールド など


一応作曲家です。
まだまだ先は長いですね。まるで樹海を彷徨っているようです。
ようこそ、僕の森へ。

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